しばらくは たきにこもるや げのはじめ
芭蕉が詠みこんだものは初夏の季節感ではない
松尾芭蕉 元禄2年(1689年)の「おくのほそ道」の旅の「日光」にある句。曾良旅日記によると、4月2日(5月20日)に快晴の中、裏見ノ滝へ行ったとある。その時の様子は、「おくのほそ道」で下記のようにある。
廿余丁山を登つて滝有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え侍る也。
暫時は瀧に籠るや夏の初
「奥細道菅菰抄」に、「夏ハ、モト結夏ト云」とあり、つまり「夏」は季節を指したものではなく、仏教用語で夏籠(安居)して座禅修行すること。なお、結夏は陰暦4月16日に当たるので、この句が詠まれたタイミングでは、少し気が早いとも言える。
上記を考慮して「暫時は瀧に籠るや夏の初」の意味をとると、「結夏のため暫く滝に籠ります」という感じになる。まさに「おくのほそ道」が修行の旅であったことを明示する句であるが、こののち憾満ヶ淵、那須、太田原なども巡っているので、裏見ノ滝はかなり足早に通り過ぎたとも考えられる。
存疑の俳文には以下のようなものもある。
廿余丁山を登つて滝有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。名を恨の滝とかや申伝へ侍るよし、
時鳥うらみの滝のうら表
暫時は瀧に籠るや夏の初
ここでは、「裏見」が「恨み」に掛けられていることが明言されている。そこにこの句の意味をとると、恨みの気持ちを抱えた状態で修業に入り、そこから脱することを期した句だと捉えることも可能であろう。
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