馬酔木の編集長を務めた福永耕二
ふくながこうじ
1938年1月4日~1980年12月4日。鹿児島県川辺郡川辺町(南九州市)出身。水原秋桜子に師事。「馬酔木」同人、同誌編集長を務める。
代表的な俳句に「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」がある。
▶ 福永耕二の俳句
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1938年 | 昭和13年 | 1月4日、鹿児島県川辺郡川辺町(南九州市)に生まれる。 |
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1953年 | 昭和28年 | ラ・サール高校に入学し、俳句を詠み始め「馬酔木」に投句。 |
1956年 | 昭和31年 | 鹿児島大学に入学し、俳誌「ざぼん」に参加。 |
1958年 | 昭和33年 | 「馬酔木」初巻頭。 |
1960年 | 昭和35年 | 鹿児島大学を卒業し、純心女子高等学校の教師となる。 |
1965年 | 昭和40年 | 能村登四郎の推薦により千葉県の市川高等学校に勤務。 |
1969年 | 昭和44年 | 「馬酔木」同人。 |
1970年 | 昭和45年 | 能村登四郎の「沖」創刊に参加。「馬酔木」編集長となる。 |
1972年 | 昭和47年 | 馬酔木賞、沖賞受賞。句集「鳥語」刊行。 |
1980年 | 昭和55年 | 12月4日、敗血症から心内膜炎を発症して亡くなる。享年42。 |
1981年 | 昭和56年 | 「踏歌」で第4回俳人協会新人賞受賞。 |
1982年 | 昭和57年 | 句集「散木」発刊。 |