俳句

秋の坊

あきのぼう

松尾芭蕉の門人

生年不詳~享保3年1月4日(1718年2月3日)。加賀国(石川県)出身。松尾芭蕉に師事。

武士を捨て出家し、日蓮宗蓮昌寺境内に秋日庵を結ぶ。元禄2年(1689年)、おくのほそ道の旅で金沢に入った芭蕉に入門。幻住庵に芭蕉を訪ねた際には、別れ際に芭蕉から「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の句を贈られる。
貧しさの中で寒さに耐えかね、生駒万子に炭をもらおうと、「寒ければ山より下を飛ぶ雁に物打荷ふ人ぞ恋しき」と、「山」「厂」「物打」「人」から「炭」を形成する和歌を詠んだ。万子は、「さむければ山より下を飛ぶ雁に物うち荷ふ人をこそやれ」として炭を贈った。
死後に金品を残すのは見苦しいと、清貧を貫いた。1月4日の臨終の折には、近藤李東と普段通り語り合っていたが、暦をつくったと言って、「正月四日よろづ此の世を去るによし」と詠んで息絶えた。李東は驚きながらも、「稲つむと見せて失せけり秋の坊」の句を手向けた。

▶ 秋の坊の俳句

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