野沢凡兆

のざわぼんちょう

「猿蓑」の編集に加わった芭蕉の弟子

生年不詳~正徳4年(1714年)。加賀国金沢(石川県金沢市)出身。別号に加生・阿圭。京都で医者をし、上京した松尾芭蕉に師事。妻も、羽紅の俳号を持つ。
向井去来とともに「猿蓑」(1691年)を編集。その折の確執などで、越智越人からは「剛毅」と評され、やがて芭蕉から離れた。
その後、抜け荷売買と思われる罪に問われ投獄され、獄中で「猪の首の強さよ年の暮」あるいは「猪の首の強さよ花のはる」の句を残す。身のあかしを立てたが、亡命して、命日は知られていない。

近世になって、その客観的な句風が注目され、内藤鳴雪は、蕉門十哲に凡兆が入っていないことを惜しんで「此団居凡兆の居ぬ寒さかな」の句を残している。

▶ 野沢凡兆の俳句

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