俳句

加藤原松

かとうげんしょう

宝井其角の高弟

貞享2年(1685年)~寛保2年(1742年)1月5日。常陸国笠間(茨城県笠間市)出身。別号に猩々庵(しょうじょうあん)・虎翼居士(こよくきょし)など。宝井其角に師事。覚芝和尚に禅を学ぶ。若い時に伊賀の阿濃津に出て、後に伊賀上野に移った。老後は京都で宗師となった。

妙心寺の僧から骸骨の画賛を依頼された時、なかなか思いつかずにいた。春から秋になってようやく、「墓原や秋の蛍のふたつみつ」と書き記し、そのまま死んでしまった。よって、門人がこの句を辞世とした。

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