青木月斗

あおきげっと

近代大阪俳壇の草分けであるホトトギス派俳人

1879年(明治12年)11月20日~1949年(昭和24年)3月17日。大阪府大阪市出身。本名は青木新護。神薬快通丸・天眼水本舖の「青木薬房」の家に生まれるも、俳句に専念して廃業。正岡子規に師事。別号に月兎・図書・山水老人。大阪満月会を結成して明治32年に「車百合」を創刊。その際、子規から「俳諧の西の奉行や月の秋」の俳句を贈られる。大正9年に「同人」創刊・主宰。妹が河東碧梧桐の妻となり、実子が河東家の養子となった。
肝硬変に倒れ、戦火を避けるために移った奈良県大宇陀町に留まったまま、昭和24年3月8日の句帖に「臨終の庭に鶯鳴きにけり」と記し、3月17日に亡くなった。3月17日は「鶯忌」と呼ばれている。

▶ 青木月斗の俳句

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