きしもとちょうわ
芭蕉台頭前の江戸に最大勢力を築いた俳人
寛永15年(1638年)~正徳5年(1715年)10月17日。陸奥岩代(福島県)に生まれる。別号に土斎(とさい)・壺瓢軒(こひょうけん)。石田未得に師事。
寛永年間に江戸に出て、談林俳人として立つ。一門に磐城平藩主の内藤風虎や但馬豊岡藩主の云奴らを得て、江戸を代表する宗匠となるも、松尾芭蕉の台頭で、50歳ころから前句付点者に転向したと言われる。
続俳家奇人談(竹内玄玄一1832年)に、
正徳五年の冬、これまで草といふ書を綴りさし、
この一句衆議判なし木がらし野
と口ずさみ、時あらずして死せり。
とある。この句が辞世となっている。
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