句仏上人と呼ばれた東本願寺第二十三代法主
1875年(明治8年)2月27日~1943年(昭和18年)2月6日。京都府京都市出身。東本願寺第二十三代法主で伯爵の、大谷光演。法号は彰如。真宗大谷派管長であり、広く海外にまで目を向けて、蓮如上人の再来と言われた。「懸葵」主宰。
俳句においては、はじめ「ホトトギス」に傾倒するも、仏教との関係が深い独自の句風を築き、「句仏上人(句を以って仏徳を讃嘆す)」と呼ばれた。生涯約2万句を遺す。
▶ 大谷句仏の俳句
大谷句仏筆 鑿鉋図 肉筆絹本掛軸(保護箱)【中古】【道】 宗sou18100円(税込/送料別)カード利用可・海外配送不可・翌日配送不可[茶道具・茶道・着物] 【お茶道具・着物 【宗 sou】】
1875年 | 明治8年 | 2月27日、東本願寺第二十二代法主である現如の次男として生まれる。(*1) |
---|---|---|
1885年 | 明治18年 | 得度。 |
1995年 | 明治28年 | 従五位に叙せられる。 |
1898年 | 明治31年 | 「ホトトギス」の高浜虚子、河東碧梧桐に選評を乞う。 |
1899年 | 明治32年 | 清国を訪問。 |
1900年 | 明治33年 | 欧州を巡った後、仏骨奉迎正使としてタイを訪問。 |
1901年 | 明治34年 | 真宗大谷派副管長。 |
1902年 | 明治35年 | 正五位に叙せられる。 |
1906年 | 明治39年 | 札幌で仏教主義の女子学校として北海女学校を開校。 |
1908年 | 明治41年 | 第二十三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。 |
1911年 | 明治44年 | 宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。 |
1912年 | 明治45年 | 従四位に叙せられる。 |
1914年 | 大正3年 | 「懸葵」を主宰する。 |
1917年 | 大正6年 | 朝鮮・満州を巡場。 |
1925年 | 大正14年 | 朝鮮半島での鉱山事業に失敗し、引責退隠。長男の闡如に法主を譲る。 |
1927年 | 昭和2年 | 真宗大谷派管長を退く。 |
1943年 | 昭和18年 | 2月6日示寂。 |
*1 | 幼名は光養麿。諱は光演。書を杉山三郎に、日本画は幸野棋嶺・竹内栖鳳に学ぶ。 |
---|