女将俳人としても知られる鈴木真砂女の情熱の俳句人生
1906年11月24日~2003年3月14日。千葉県鴨川市の老舗旅館・吉田屋旅館(現:鴨川グランドホテル)の三女。丹羽文雄「天衣無縫」、瀬戸内寂聴「いよよ華やぐ」のモデル。大場白水郎・久保田万太郎・安住敦に師事。「紫木蓮」で飯田蛇笏賞を受賞。
日本橋の雑貨問屋に嫁ぐが、夫が借金のため失跡。吉田屋旅館の女将だった姉・梨雨女の急逝により、義兄と再婚して、昭和10年に吉田屋旅館を継ぐ。梨雨女の遺品整理で俳句に触れたことにより、俳句をはじめた。
旅館に宿泊した海軍士官と不倫の恋に落ちるなど、破天荒な生き方で知られ、銀座に小料理屋「卯波」を開いて「女将俳人」と呼ばれた。店名は自作の俳句「あるときは船より高き卯浪かな」による。
90歳まで小料理屋を経営。96歳まで生き、老衰のため老人保健施設で死去。蛇笏賞に輝いた91歳時の句集「紫木蓮」の冒頭句「来てみれば花野の果ては海なりし」を辞世とする見方がある。
句集に、「生簀籠」(昭和30年)・「卯浪」(昭和36年)・「夏帯」(昭和44年)・「夕蛍」(昭和51年)・「居待月」(昭和61年)・「都鳥」(平成6年)・「紫木蓮」(平成10年)がある。
実家である鴨川グランドホテルには、「鈴木真砂女ミュージアム」が設置されている。
▶ 鈴木真砂女の俳句
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1906年 | 明治39年 | 11月24日、千葉県鴨川市の吉田屋旅館の三女として生まれる。(*1) |
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1923年 | 大正12年 | 日本女子商業学校を卒業。 |
1928年 | 昭和3年 | 日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚。 |
1932年 | 昭和7年 | 長女を出産。(*2) |
1933年 | 昭和8年 | 夫が蒸発し、娘を婚家に残して実家に戻る。 |
1934年 | 昭和9年 | 長姉が急死し、家を守るために義兄と再婚し、旅館の女将となる。 |
1935年 | 昭和10年 | 俳句を始める。(*3) |
1936年 | 昭和11年 | 旅館に宿泊した海軍士官と不倫し、出奔。しばらくして戻る。 |
1951年 | 昭和26年 | 夫が脳溢血で倒れ介護状態となる。 |
1957年 | 昭和32年 | 夫とは離婚し、銀座一丁目並木通り幸稲荷の路地に小料理屋「卯波」を開店。 |
1976年 | 昭和51年 | 「夕螢」で第16回俳人協会賞。 |
1995年 | 平成7年 | 「都鳥」で第46回読売文学賞。 |
1999年 | 平成11年 | 「紫木蓮」で第33回蛇笏賞。 |
2003年 | 平成15年 | 3月14日、老衰のため死去。96歳。 |
*1 | 本名は、まさ。 |
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*2 | 女優の本山可久子。 |
*3 | 長姉の遺稿を整理するうちに俳句に興味を持つ。大場白水郎の「春蘭」を経て、久保田万太郎の「春燈」に入門。 |