三浦樗良

俳諧中興の六大家の一人

みうらちょら

享保14年(1729年)~安永9年11月16日(1780年12月11日)。志摩国答志郡鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽)の鳥羽藩士の家に生まれた。名は元克、通称は勘右衛門。別号に一呆廬・二股庵・無為庵など。俳画でも知られる。

伊勢国度会郡山田(現在の伊勢市)の和田希因に入門。紀伊長島の百雄(貞門系)に学んだ後、伊勢派に親しむ。宝暦12年(1762年)には、山田に無為庵(がいあん)を構えて、俳諧撰集「我庵(わがいお)」を編集した。
1770年頃には妻とともに江戸に下るが生活に窮し、帰郷して俳諧宗匠となる。さらに剃髪して玄伸と名乗り、松岡青蘿久村暁台高桑闌更らと交流した。安永2年(1773年)には与謝蕪村と親交を深め、安永5年(1776年)には蕪村の住む京都に無為庵を移し、絶頂期を迎えた。最後は山田に帰って52歳で亡くなった。

奔放な性格で、後半生は放浪を重ねた。広い交友関係と、平明で素朴な独自の句風で、中興俳壇の代表的俳人の一人に数え上げられるようになった。

▶ 三浦樗良の俳句

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