俳句

松岡青蘿

まつおかせいら

江戸俳人中最大のサンボリスト
〇天明中興六家の一人

元文5年(1740年)~寛政3年6月17日(1791年7月17日)。姫路藩士松岡門太夫の三男として江戸(東京都)に生まれる。本名は松岡鍋五郎。別号に山李坊令茶・幽松庵・三眺庵・栗の本庵(一世)など。神谷玄武坊高桑闌更に師事。蕉風俳諧中興六大家の一人とされる。
賭博により、23歳の時に姫路藩を追放され、諸国行脚する中で俳諧師となる。明和4年(1767年)に播州に戻るが、姫路には入れてもらえず加古川に庵を結び、大庄屋・中谷家の庇護を受ける。翌年の芭蕉忌に剃髪し、善証寺の東州和尚から青蘿の号を授かる。この時に、「けふよりは頭巾の恩も知る身かな」の句を詠む。
寛政2年(1790年)に、二条家俳諧宗匠となる。芭蕉顕彰に奔走し、明石に蛸壺塚、淡路島に扇塚を建立した。

辞世は「ふなばたや履ぬぎすつる水の月」。中村真一郎の「俳句の楽しみ」に、「江戸俳人中の最大のサンボリスト」と評される。

▶ 松岡青蘿の俳句

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