おおのりんか
社会性俳句の仕掛人で第3代俳人協会会長も務めた大野林火
1904年3月25日~1982年8月21日。神奈川県横浜市出身。臼田亞浪に師事。「濱」創刊・主宰。神奈川県立商工実習学校教諭を辞め、角川書店「俳句」編集長となり、「社会性俳句」勃興に貢献した。第3代俳人協会会長。「潺潺集(せんせんしゅう)」他で第3回蛇笏賞受賞。朝日俳壇選者など。ハンセン病患者の句会の指導で、村越化石を見出したことでも知られる。
死の間際の昭和57年8月17日「先師の萩盛りの頃やわが死ぬ日」「萩明り師のふところにゐるごとし」。師とは臼田亞浪のこと。その「俳句は一句一章の詩たるべし」との教えに従った。
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1904年 | 明治37年 | 3月25日、神奈川県横浜市に生まれる。(*1) |
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1920年 | 大正9年 | 俳句をはじめる。 |
1921年 | 大正10年 | 「石楠」に入会し、臼田亞浪に師事。 |
1927年 | 昭和2年 | 東京帝國大学経済学部を卒業。日本光機工業に入社。 |
1930年 | 昭和5年 | 日本光機工業を退社し、県立商工実習学校(横浜創学館高等学校)教諭となる。 |
1939年 | 昭和14年 | 第一句集「海門」刊行。 |
1944年 | 昭和19年 | 「ホトトギス」に通い、評論「高浜虚子」を著す。 |
1946年 | 昭和21年 | 「濱」を創刊し、主宰となる。「俳句研究」編集に携わる。 |
1948年 | 昭和23年 | 教職を辞し、俳句に専念。 |
1953年 | 昭和28年 | 角川書店「俳句」編集長となる。(*2) |
1956年 | 昭和31年 | 横浜俳話会発足に参加。 |
1964年 | 昭和39年 | 第13回横浜文化賞受賞。 |
1969年 | 昭和44年 | 第8句集「潺潺集」他で第3回蛇笏賞受賞。 |
1973年 | 昭和48年 | 第22回神奈川文化賞受賞。 |
1974年 | 昭和49年 | 愛媛俳壇選者となる。 |
1978年 | 昭和53年 | 俳人協会会長に就任。 |
1980年 | 昭和55年 | 朝日俳壇選者となる。俳人協会訪中団団長となり日中文化交流に尽力。 |
1982年 | 昭和57年 | 8月21日、死去。78歳。 |
*1 | 本名は大野正(おおのまさし)。 |
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*2 | 1953年11月号から1956年12月号まで。 |