俳句

図司呂丸

ずしろがん

「おくのほそ道」で出羽三山を案内した俳人

???~元禄6年(1693年)2月2日。 出羽羽黒手向(山形県)の山伏法衣の染物師。通称は左吉。別号に啁栢堂(とうはくどう)など。松尾芭蕉元禄2年(1689年)、「おくのほそ道」の旅の折、出羽三山を案内し、芭蕉に師事する。

元禄5年、俳諧修業の旅に出て、芭蕉から「三日月日記」を贈られた。さらに京都を訪ねたが、病のために元禄6年2月2日、各務支考宅で死去。40歳くらいだったと言われる。辞世は「消安し都の土に春の雪」。芭蕉も「当帰より哀は塚のすみれ草」の追悼句を遺している。

▶ 図司呂丸の句

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