河合曾良

かわいそら

「奥の細道」に随行して「曾良旅日記」を記す

慶安2年(1649年)~宝永7年5月22日(1710年6月18日)。信濃国(長野県)出身。松尾芭蕉に師事。蕉門十哲の一人とされることもある。
元禄2年(1689年)、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅に随行したことで名高い。几帳面な性格が芭蕉に信頼されており、「奥の細道」では、「曾良旅日記」に詳細が記され、芭蕉研究の貴重な資料になっている。

宝永6年冬、幕府の巡見使随員となった曾良は、金銭的な余裕ができて、「千貫目ねかせてせわし年の暮」と詠む。翌年頭には「立初る霞の空にまつぞおもふ ことしは花にいそぐ旅路を」と歌い、その年3月1日に江戸を発ち、5月22日に壱岐で病気のために客死した。辞世は「春に我乞食やめてもつくしかな」。「つくし」には「筑紫」と「土筆」が掛かる。

▶ 河合曾良の俳句

 河合曾良年譜
1649年 慶安2年 信濃国高島城下の下桑原村(現長野県諏訪市)に生まれる。(*1)
1661年 寛文元年 養父母が亡くなり、伊勢国長島の住職・深泉良成の元に引き取られる。
1668年 寛文8年 長島藩主松平康尚に仕え、河合惣五郎を名乗る。
1681年 天和元年 致仕し、江戸の吉川惟足に吉川神道・和歌を学ぶ。
1683年 天和3年 芭蕉に入門。
1687年 貞享4年 芭蕉の「鹿島紀行」の旅に随行。
1688年 元禄元年 僧形となる。
1689年 元禄2年 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅に随行し、「曾良旅日記」を残した。
1709年 宝永6年 幕府の巡見使随員となる。
1710年 宝永7年 3月1日、巡見使随員として江戸を発つ。旧暦5月22日巡見途上、壱岐国可須村風本(現長崎県壱岐市勝本浦)で死去。享年62。戒名は賢翁宗臣居士。墓所は壱岐島の能満寺。
*1 高野七兵衛の長男。幼名は与左衛門。両親死後、伯母の養子となり、岩波庄右衛門正字と名乗る。通称は河合惣五郎。曾良の俳号は、伊勢国長島の木曾川と長良川に因む。