俳句

生涯の影ある秋の天地かな

しょうがいの かげあるあきの てんちかな

生涯の影ある秋の天地かな「胡笛」(1955年)所収の長谷川かな女の俳句。昭和25年(1950年)、60歳を過ぎた頃の作。
この俳句の句碑がある浦和の調神社での除幕式に際し、かな女は「浦和を生涯の地と決めているのでそれを刻むことにした」と述べているので、終の棲家とした浦和の景色である。この俳句を詠んでから、20年ほどの月日をここで送った。


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調神社の句碑(埼玉県さいたま市)

生涯の影ある秋の天地かなさいたま市浦和にある調神社は「つきじんじゃ」と読み、月待信仰や狛兎で知られる古社である。その御手洗池の袂に、かな女の句碑がある。市街地の中心部にある事から参拝者も多く、句碑も奇麗に管理されている。

かな女は夫の零余子を失った昭和3年、養子の生家が浦和にあったことから、調神社の近くに移り住んだ。
句碑は、存命中の昭和28年11月3日、水明俳句会によって建立されもので、当日行われた除幕式に、かな女も参加している。句碑の横にあった説明を、下に記す。

長谷川かな女 句碑(昭和二十八年十一月建立)
生涯の影ある秌の天地かな かな女
「それまでの苦難を乗り越え、新天地・浦和を愛し、ここを生涯の地と決めたという、秋の日のしみじみとした気持ちを詠んだ俳句である。」
*「秌」は「秋」の異体字で、「収穫の秋」「大切な時」という意味がある。
かな女は、高浜虚子の指導を受け、大正・昭和初期を代表する女性俳人として俳句界の発展に貢献した。四十年余り浦和のこの調神社の近くに居住し、多くの句集・随筆の発刊を通じて、浦和市民並びに埼玉県民の教養の向上と文化活動の普及発展に寄与した。
昭和五年九月に雑誌「水明」を創刊。浦和市名誉市民。埼玉県文化功労賞受賞。紫綬褒章受章。
昭和四十四年九月二十二日永眠・享年八十二歳。同九月二十七日浦和市葬、勲四等宝冠章受章。
平成二十六年三月 水明俳句会

【撮影日:2020年2月15日】

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