風かをる越の白嶺を國の華

かぜかおる こしのしらねを くにのはな

風かをる越の白嶺を國の華松尾芭蕉、1689年(元禄2年)7月、「おくのほそ道」の旅で詠まれた句とされる。白山比咩神社奉納句集である「柞原集」(鶴屋句空1692年)の巻頭に、「春なれやこしの白根を国乃花」として掲載され、「此句芭蕉翁一とせの夏越路行脚の時五文字風かをると置てひそかに聞え侍るをおもひ出て卒爾に五文字をあらたむ」と注釈が載る。
「風薫る」では、旧暦7月の季節感から外れるために、「おくのほそ道」で詠まれたものではないとの説もある。

季語は「風かをる」で、初夏。越国の霊山である白山を詠みこんでおり、大意は「さわやかに風が吹き渡る白山こそは、国の誇りであることだなあ」というところか。ここにいう「くにのはな」が、皇家の象徴であり現代では国花ともされる「菊」に擬され、白山に鎮座する神「菊理姫」に掛けられているとも考えられる。

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白山比咩神社の句碑(石川県白山市)

風かをる越の白嶺を國の華加賀国一宮・白山比咩神社は、白山を御神体としている。御祭神は、現国と黄泉の狭間に立つ菊理媛。伊邪那岐と伊弉冉を和解させるために、謎の詞を奉じたという。
白山比咩神社本宮の手水舎の近くに芭蕉句碑がある。昭和36年(1961年)に地元の郷土史家・武閑雲が建立。揮毫も武閑雲。句碑の前に立つ看板には、以下のようにある。

この俳句は元禄二年(西暦一六九八年)七月俳聖芭蕉翁が「奥の細道」の途次、北陸の中天に麗しく聳える白山の姿を讃えて詠んだもので、元禄五年の中秋翁生存中に出版された柞原集(白山比咩神社奉納句集)の巻頭に記載されている。
句碑は昭和三十六年五月鶴来町在住の郷土史家武閑雲が古稀の記念として建立・奉納されたものである。

【撮影日:2019年9月28日】

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