菜の花や月は東に日は西に

なのはなや つきはひがしに ひはにしに

菜の花や月は東に日は西に「続明烏」(高井几董1776年)の春興廿六句にある与謝蕪村の発句。脇は三浦樗良で、「山もと遠く鷺かすみ行」。柿本人麻呂の「東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」を下地にした句である。
高井几董の「宿の日記」安永三年(1774年)には、「三月廿三日即興」とあり、「菜の花や月は東に日は西に(蕪村) 山もと遠く鷺霞み行(樗良) 渉し舟酒價貧しく春暮て(几董)」と続く。該当の日は新暦5月3日に当たり、六甲の摩耶山で、南面して菜種の産地であった麓を臨みながら夕景を描写したと言われている。しかし、この日ならば夜半に月が出ることになるので、実景とは違うとの指摘もある。

高浜虚子は「俳句とはどんなものか」(1927年)の中で、下記のように評している。

「菜の花や」の句は春の夕暮の光景でその辺一面に菜の花が咲いている、東の方を見ると白い月が出ている、西の方には山に落ちかかった夕日が赤く雲を染めているというのであります。京都あたりでよく見る昼のような景色であります。「ながながと川一筋の雪の原」(野沢凡兆)とか「藁積んで広く淋しき枯野かな」(江左尚白)とかいったような句と同様、景色そのままを描いたのであります。が、彼にくらべるとこれはなおいっそう印象明瞭であって、それに光景そのものが派手であります。春と冬との相違があるというばかりでなく、彼は川一筋とか積藁とかを見出してそれを唯一の点景物としておりますが、これは東に月を見出し、西に入日を描いています。

▶ 与謝蕪村の句