さまざまのこと思い出す桜かな

さまざまの ことおもいだす さくらかな

桜の花に芭蕉が思い出したもの

俳句「さまざまのこと思い出す桜かな」松尾芭蕉が、「笈の小文」の旅の後、1688年(貞享5年)に故郷の伊賀の国で詠んだ句。真蹟懐紙に「探丸子のきみ別墅の花みもよほさせ玉ひけるに むかしのあともさながらにて」の詞書がある。探丸子は、芭蕉が仕えた藤堂良忠(蝉吟)の子で、藤堂良長(探丸)のこと。
別墅とあることから、現在の三重県上野市にある藤堂家の下屋敷で催された花見の時に詠まれた句であることが分かる。この芭蕉の「さまざまのこと思い出す桜かな」の発句に、探丸は「春の日はやくふでに暮行」と脇を付けた。

芭蕉は、藤堂良忠の死とともに出奔した。それから22年が経過して招かれた主の家で、昔と変わらぬ花をつける桜を見て、ともに俳諧の道を歩んだ蝉吟のことなどが思い出されたのだろう。
25歳で没した良忠は、芭蕉の俳諧の道に少なからぬ影響を及ぼした。良忠が存在しなければ、あるいは早世しなければ、俳聖芭蕉は生まれなかったかもしれない。

「笈日記」(各務支考1695年)には、「おなじ年の春にや侍らむ 故主君蝉吟公の庭前にて」の詞書がある。

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