鴫たつてなきものを何よぶことり

しぎたつて なきものをなに よぶことり

鴫たってなきものを何よぶことり松尾芭蕉と同じ時代を生きた大淀三千風は矢数俳諧で身を立て、元禄8年(1695年)に鴫立庵から依頼されて、5月に鴫立庵主となった。
鴫立庵とは、西行の和歌「こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」に依って、寛文4年(1664年)に小田原の崇雪が創庵したものであるが、崇雪没後2年で入庵した三千風を第一世庵主とする。三千風は、元禄13年(1700年)に西行五百年忌記念碑を建立し、「鴫立し沢辺の庵をふきかえて こころなき身のおもひ出にせん」の歌と「鴫たつてなきものを何よぶことり」の句を、「中興鴫立庵主」の肩書で刻んだ。

当時の趣向を受け、句意は如何様にも受け止められるが、大方は「鴫はもはや飛び去ってしまって居ないというのに、呼子鳥は一体何をしているというのだ」と、鴫を西行、呼子鳥を己に見なして解釈する。現在風に言えば、季語は「呼子鳥」で春。西行忌(新暦3月31日)を考慮すれば、季節に適う。
あるいは西行の和歌に因んで季節を秋で取れば、「鴫は飛び去ってしまって居ないというのに、小鳥は一体何を呼んでいるというのだ」となる。二種の鳥の存在する時間軸は同じとなるものの、西行と見なした鴫の大きさ、偉大さを強調するものとして解釈することもできる。

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鴫立庵の句碑(神奈川県中郡大磯町)

鴫たってなきものを何よぶことり大磯町大磯の海岸が、「湘南発祥の地」と言われる所以は、鴫立庵内にある「鴫立沢標石」裏面の崇雪の句「著盡湘南清絶地」に因る。このため、鴫立庵の入り口付近には「湘南発祥の地大磯」という石碑も建立されている。

鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに、日本三大俳諧道場の一つと呼ばれている。庵内には、その名の元となった西行の「鴫立し沢辺の庵をふきかえて こころなき身のおもひ出にせん」の歌碑をはじめ、歴代庵主の句碑他100基に迫る石碑が並べられている。上記の「西行五百年忌記念碑」もこの中にあり、写真の、「鴫立し沢辺の庵をふきかえて こころなき身のおもひ出にせん」の歌を刻んだ「三千風墓」も、鴫立庵後方の丘に立つ。
鴫立庵は、2020年6月11日に亡くなられた神奈川県出身の俳人鍵和田秞子氏が、最近まで第二十二世庵主を務められた。年末年始を除いて一般開放されており、三千風が建てた「鴫立庵室」、新吉原から寄進されたという「法虎堂」、西行坐像の安置された「円位堂」がある。なお、「鴫立庵室」は、三千風が13年間居室としたところで、三千風は宝永4年1月8日(1707年2月10日)に亡くなっている。また、三千風入庵後70年の再興時に増築した「俳諧道場」に、「俳諧道場」の扁額が掲げられている。

【撮影日:2020年10月31日】

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