俳句

旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる

たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる

辞世か否かが議論される松尾芭蕉の名句

旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる松尾芭蕉、死の4日前の元禄7年(1694年)10月8日、「病中吟」との前書きで詠んだもの。
各務支考は、「芭蕉翁追善之日記」に、元の句は「旅に病て夢は枯野をかけ廻る」だったことを記している。「なほかけ廻る夢心」とどちらが良いかと問われ、身体に障ってはならぬと考え、先の句と即答したと支考は答えた。

ところで、最後になったこの旅は、決して死を覚悟してのものではなかった。元禄7年5月、故郷・伊賀上野を目指し、その足で、弟子の之道と洒堂のもめ事を仲裁するため、大坂の之道宅に入った。
9月10日、芭蕉は発熱と頭痛を感じて病床に伏し、さらに悪化したため、10月5日に南御堂前の花屋仁右衛門の貸座敷に移った。12日申の刻(午前4時頃)に息を引き取り、翌日には近江の義仲寺に運ばれ、遺言に従って木曾義仲のもとに葬られた。胃疾患だったと言われている。


意味は「旅をしている最中に病気になってしまって、枯野を駆け巡る夢を見た」というような感じか。推敲句に「なほかけ廻る夢心」があることからすれば、「病んで寝込んでしまっても、心は旅を欲している」というニュアンスがあるのだろう。

この句が、果たして辞世なのかどうかは、よく議論されるところである。この句が詠まれた翌日には、「清滝や波に散り込む青松葉」の句もある。しかし、幽遠の趣を持つ「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」は、死と隣り合わせの芭蕉の死生観をよく表している。「吾生前の句皆辞世の句ならざるはなし(私の句は全てが辞世である)」との芭蕉の思いを、端的に体現しているのが、この句ではなかろうか。

▶ 松尾芭蕉の俳句
俳句と季語俳句検索俳人検索俳句の辞世句俳句暦俳句関連骨董品

南御堂境内の句碑(大阪府大阪市中央区)

旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる芭蕉は、南御堂前の花屋仁右衛門の貸座敷で没したことから、南御堂(真宗大谷派難波別院)の境内に芭蕉の句碑が立てられている。その句碑には「旅に病でゆめは枯野をかけまはる」とある。天保14年(1843年)の芭蕉150回忌に、胡華庵超然・紫雪庵宗保・呉松庵古齋が建立。書は、歌人の脇坂窓明。
現在は、南御堂境内の西側のバショウ下にあるが、はじめは北側の築山にあったという。昭和9年(1934年)に、芭蕉終焉地が史蹟に指定され、ほど近い御堂筋の真ん中の緑地帯に「此附近芭蕉翁終焉ノ地」の碑が立つと、その付近に移されたこともある。つまり、建立されてから2回ほど場所を変えている。
なお南御堂では、毎年11月の芭蕉忌に、「大阪の芭蕉忌~法要と句会~」が行われているとのことである。
【撮影日:2011年11月7日】

▶ グーグルマップ