俳句

空蝉はもとのすがたに返しけり

うつせみは もとのすがたに かえしけり

空蝉はもとのすがたに戻しけり立羽不角の辞世。享保15年(1730年)に法眼の位にまで上り詰めた不角は、宝暦3年5月に体調を崩し、7月21日(1753年8月19日)に死去した。

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萬福寺の句碑(東京都江戸川区)

空蝉はもとのすがたに戻しけり東小岩の萬福寺に、立羽不角の辞世が刻まれた墓があると聞いてやってきた。大名と接し、1000人もの弟子をかかえた法眼だから、相当の墓があると考えていた。調べると、江戸川区登録史跡にもなっているという。
萬福寺は、真言宗豊山派の五社山明寿院と号し、1536年開山。第四十四代横綱栃錦の菩提寺でもある。本堂を挟んで墓地は左右に分かれ、多くの墓が立ち並んでいる。それでも、簡単に探し出せると考えていたのが間違いだった。
江戸川区登録史跡に関わらず、案内板はなく、墓の間を延々3周してしまうことに。そうしてようやく、立羽家之墓を見つけた。その前に立つ小さな古い墓石に、ようやく「うつ蝉はもとの裸に戻りけり」の風化した文字を見つけた。
もとは、築地本願寺内成勝寺に葬られていたという。
【撮影日:2020年3月25日】

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