家持の妻恋舟か春の海

やかもちの つまこいぶねか はるのうみ

家持の妻恋舟か春の海昭和24年(1949年)の高浜虚子の俳句。この年の4月26日に加賀屋に宿泊して詠まれた。
「妻恋舟」は、「つまこうふね」と詠みたいところであるが、「つまこいぶね」。

ここに詠み込まれた万葉の歌人・大伴家持は、746年6月に越中守に任ぜられ、751年に帰京するまで越中に滞在し、能登を巡航してまわった。その間の歌に「妹に逢はず久しくなりぬ饒石川 清き瀬ごとに水占延へてな」「とぶさ立て船木伐るといふ能登の島山 今日見れば木立茂しも幾代神びそ」(ともに万葉集巻17)などがある。これらを踏まえた俳句だろう。

▶ 高浜虚子の句

【和倉温泉 加賀屋】
「プロが選ぶ日本のホテル旅館100選」の総合部門1位の常連。1906年(明治39年)の創業より、徹底したサービスで、日本の旅館業界を引っ張ってきた。「おもてなし」の言葉が心に深く染み入る、一生に一度は泊まるべき、世界に誇れる名旅館である。

和倉温泉の句碑(石川県七尾市)

家持の妻恋舟か春の海和倉温泉の湯元・弁天崎公園に句碑がある。弁天崎公園は、埋め立てられるまでは弁天島という島で、能登島を望む内海が眼前に広がり、加賀屋側に沈む夕陽が美しい。ここから500メートルほど東に行ったところに、この虚子の俳句にちなむ「妻恋舟の湯」というのもできている。
碑陰に、「俳界の巨星高浜虚子翁昭和二十四年四月二十六日能登路に来遊 和倉で一泊せらる 本連盟は之を記念すべく翁に揮毫を求め和倉温泉組合の協力により句碑を建立す 昭和二十四年八月十四日 能州文化連盟」とある。昭和24年(1949年)建立。揮毫は高浜虚子。案内板に下記のようにある。

高浜虚子の句碑
家持の妻恋舟か春の海
天平18年(748)越中の国に含まれた能登の国司大伴家持卿は官倉(年貢籾の貯蔵所)の事務決済を終り、能登巡航され数々の名句を残された。俳人高浜虚子が昭和24年和倉に来り「家持の妻恋舟か春の海」と追憶して現実の和倉の海を賞しました。

【撮影日:2019年9月29日】

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