柳原極堂(やなぎはらきょくどう)

ほとゝぎすを創刊した柳原極堂

手のひらにいたゞく春の光可南

自身の米寿祝賀会で詠まれた句。

▶ 柳原極堂の俳句

 柳原極堂年譜
1867年 慶応3年 旧暦2月11日、伊予国温泉郡北京町(現在の松山市二番町)に生まれた。(*1)
1881年 明治14年 松山中学に入学。正岡子規と親交を深める。
1883年 明治16年 子規と謀って松山中学を中退し上京。
1889年 明治22年 海南新聞社に入社。
1894年 明治27年 松風会を結成し、「碌堂」と号する。
1896年 明治29年 子規に勧められ俳号を「極堂」に変えた。
1897年 明治30年 月刊俳誌「ほとゝぎす」を創刊。(*2)
1899年 明治32年 松山市議会議員に当選。
1906年 明治39年 再創刊した伊予日々新聞の社長に就任。
1932年 昭和7年 「鶏頭」を創刊。
1957年 昭和32年 10月7日死去。90歳。墓所は松山市の妙清寺。松山市初の名誉市民となった。
*1 柳原権之助、トシの長男として生まれる。本名は正之、幼名を喜久馬。
*2 21号以降は高浜虚子に譲渡。