俳句

季語|蜜柑(みかん)

三冬の季語 蜜柑

蜜柑山(みかんやま)

季語と俳句の蜜柑ミカン科ミカン属の常緑小高木は、種類によって実をつける時期が異なるが、一般的な「温州みかん」は、11月から12月頃に収穫されるため、冬の季語となる。その他の冬に結実する種類では、1月から2月に実をつける「いよかん」などがある。
柑橘類は、主に暖地に育ち、日本では、南国の南斜面を蜜柑畑として利用することが多い。特に海に近い南斜面は、海の反射光もあるために、甘くて輝くような色の蜜柑ができると言われている。
かつては、日本で最も消費量の多い果実であったが、その地位は後退し、一世帯あたりの消費量においては、主食の代替として浮上したバナナやリンゴの後塵を拝している。

蜜柑は「甘い柑橘」の意味で、それに当てはまる温州みかんのことを、普通は「蜜柑」と言う。柑橘の名産地である中国浙江省の温州にあやかって「温州みかん」と呼ばれるが、約500年前に鹿児島県出水郡長島町で偶発実生したと考えられている。因みに、英語では「Satsuma orange」と言う。
江戸時代に温州みかんは、「種なし」の特性が忌避されて普及しなかった。その当時の蜜柑と言えば、紀伊國屋文左衛門で有名な「紀州みかん」であった。因みに紀州みかんは、温州みかんの親となる品種である。
俳諧歳時記栞草には、九月条に「和漢三才図会」の引用で「太知波奈」の和名は、橘類の総名也。今、単に太知波奈と称するものは包橘也。専果とし、其皮を薬とす。すなはち蜜柑也。其実、熟するときは蜜の如し。故に名づく。」とある。また、「たはれ草」の引用で、「橘は淮をわたりて化して枳(からたち)となるをいへるを、ふしぎなりといひしに、此国にてもみつからん・九年母などいへるもの、其樹を移して出羽に植れば、みな枳殻(きこく)となるといへり。」ともある。
「橘化為枳(橘化して枳と為る)」という言葉があるが、これは、境遇によって元の性質が変化することをいう。

蜜柑のもととなる柑橘は、インドのアッサム地方近辺が原産地だと考えられている。日本への伝来は、「古事記」「日本書紀」に記されている。それによると垂仁天皇の時代に、多遅摩毛理(たぢまもり)を常世の国に遣わせて、時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)という不老不死の果実を求めさせた。しかし、多遅摩毛理がその実を持って帰ってきた時には、天皇は既に崩御されていたという。
この「時じくの香の木の実」というのは、「いつも良い香りのする木の実」と言う意味で、橘のことだと言われている。
また、魏志倭人伝には、当時(3世紀)の日本に「橘があるが、食べることはない」と書かれている。
このように、古くから親しまれてきた柑橘であるが、万葉集には「橘」として、72首が載る。大伴家持は

橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し

と歌っている。

【蜜柑の俳句】

死後も日向たのしむ墓か蜜柑山  篠田悌二郎

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