高野素十(たかのすじゅう)

ホトトギスの4S 高野素十

甘草の芽のとびとびのひとならび

ホトトギス昭和4年6月号。「写生の模範と賞賛される一方、他派からは草の芽俳句と侮蔑を込めてよばれた有名な句である。」(稲畑汀子)

▶ 高野素十の俳句

 高野素十年譜(10月4日 金風忌)
1893年 明治26年 3月3日、茨城県北相馬郡山王村(現取手市神住)に生まれる。(*1)
1905年 明治38年 新潟県長岡市に住む叔父のもとに寄宿し、新潟県立長岡中学校に入学。
1918年 大正7年 東京帝国大学医学部卒業後、法医学教室に入局。(*2)
1923年 大正12年 秋桜子の勧めで句作を開始。東大俳句会に所属。ホトトギス12月号に初投句4句が入選。
1932年 昭和7年 新潟医科大学(現・新潟大学医学部)助教授。ドイツのハイデルベルク大学に留学。
1935年 昭和10年 新潟医科大学法医学教授に就任。
1949年 昭和24年 新潟医科大学第6代学長就任。(*3)
1953年 昭和28年 新潟医科大学を定年退官。奈良県立医科大学法医学教授に就任(*4)。「桐の葉」雑詠選者。
1957年 昭和32年 「桐の葉」選者を辞し「芹」創刊・主宰(*5)。
1976年 昭和51年 10月4日、自宅にて死去。83歳。千葉県君津市の神野寺に葬られた。戒名は山王院金風素十居士。
*1 農家の長男。本名は与巳(よしみ)。
*2 法医学教室の先輩に水原秋桜子。
*3 1949年5月~1950年9月。
*4 1960年退職。その間、奈良県高取町、京都市山科区に住む。
*5 1976年、脳溢血により入院し、9月号から翌年5月号まで「芹」を休刊。1976年8月、前立腺肥大症のため入院し、11月号をもって「芹」終刊。