三冬の季語 枯野
草木の枯れはてて荒涼とした原野は、郷愁を誘う。「枯野」の句で最も有名なのは、事実上の芭蕉の辞世とも言われる「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」だろう。芭蕉があこがれた西行には、
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて 枯野の薄かたみにぞ見る
という中将実方を弔った歌がある。「奥の細道」の道中で笠島に入った芭蕉は、同じように中将実方の塚を訪ねようとしたが、雨がひどくて疲れもあって、遠くから眺めたと記している。
古代において「枯野」と言えば船の名である。古事記(仁徳記)と日本書紀(応仁紀)と、記述に違いは見られるが、いずれも枯野という名の優れた船があったことが書かれている。そして、その船が使えなくなった時、塩を焼いて、焼け残りで琴を作ったとある。その時に、
枯野を塩に焼き其が余り琴に作り掻き弾くや 由良の門の門中の海石に振れ立つ浸漬の木のさやさや
という歌が歌われている。日本書紀の記述を辿れば、枯野は伊豆の軽野(狩野)から贈られた船だと想像できる。
この船名の枯野は恐らく「狩野」の転訛だと思われるが、本来「枯」は、「刈」「狩」に通じる言葉である。