「沖」の最高顧問を務めた林翔
はやししょう
1914年1月24日~2009年11月9日。長野県長野市出身。「馬酔木」同人。「沖」最高顧問。俳人協会顧問などを歴任。
▶ 林翔の俳句
林翔の年譜
1914年 |
大正3年 |
1月24日に長野県長野市に生まれるも、母と死別し、祖母に育てられる。(*1) |
1932年 |
昭和7年 |
國學院大學で能村登四郎と知り合う。(*2) |
1939年 |
昭和14年 |
旧制私立市川中学(現・市川高等学校)に勤務。 |
1940年 |
昭和15年 |
水原秋桜子の「馬酔木」に入門。 |
1950年 |
昭和25年 |
「馬酔木」同人となる。 |
1970年 |
昭和45年 |
登四郎が「沖」を創刊すると、編集長に就任。句集「和紙」刊行。 |
1971年 |
昭和46年 |
「和紙」で第10回俳人協会賞。 |
1975年 |
昭和50年 |
句集「寸前」刊行。 |
1983年 |
昭和58年 |
「沖」副主宰。 |
1984年 |
昭和59年 |
句集「幻化」刊行。 |
1989年 |
平成元年 |
句集「春菩薩」刊行。 |
2001年 |
平成13年 |
「沖」最高顧問。 |
2004年 |
平成16年 |
句集「光年」刊行。 |
2005年 |
平成17年 |
「光年」で第20回詩歌文学館賞。 |
2009年 |
平成21年 |
11月9日、膵臓癌により亡くなる。95歳。 |
*1 |
本名は昭。 |
*2 |
登四郎とともに短歌雑誌「装填」同人となるが、廃刊後に俳句に転向。 |