立花北枝

たちばなほくし

「北方の逸士」と称される蕉門十哲の門弟

生年不詳~享保3年5月12日(1718年6月10日)。加賀国小松町(石川県小松市)出身。北村季吟門下の友琴・松尾芭蕉に師事。芭蕉に「北方の逸士」と称される。

元禄3年(1690年)3月の金沢の大火で類焼した北枝は、「焼にけりされども花はちりすまし」と詠み、芭蕉らの称賛を得た。後に再び火災に遭い、他人に「諸ともに硯も筆もすみと成る烟りの中に一句作麼生」とかつての心情の有無を問われて、「諸ともに硯も筆もすみとなりその言の葉をかく物ぞなき」と、滑稽で返した。
山中温泉滞在中の芭蕉とのやりとりを記した「山中問答」は、蕉風俳諧を理解する上で欠かせない資料となっている。辞世は「書て見たりけしたり果はけしの花」。

▶ 立花北枝の俳句

 立花北枝年譜(旧暦5月12日 北枝忌)
生年不詳(*1)
1689年 元禄2年 松尾芭蕉が「おくのほそ道」途上で金沢を訪れた際に入門。(*2)
1718年 享保3年 旧暦5月12日死去。
*1 加賀国小松町研屋小路に生まれる。兄に牧童。金沢に住み、兄とともに刀研ぎを業とした。通称研屋源四郎。別号に鳥翠台・寿妖軒・趙子など。
*2 山中温泉・越前国松岡まで、芭蕉に随行。北枝の「馬かりて燕追ひ行く別れかな」に始まる歌仙は、山中三吟と呼ばれる。
松岡で「物書いて扇子へぎ分くる別れ哉」の句を芭蕉から贈られた。この句は、おくのほそ道に「物書て扇引さく余波哉」として載る。
芭蕉が金沢で「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句を詠んだ際、「秋の風」を「秋の山」として北枝に示し、「山といふ字すはり過てけしきの広からねば」と返した。「さればこそ金城に北枝ありと名たゝるもうべなれ」と称賛された。