冬蜂の死にどころなく歩きけり

ふゆばちの しにどころなく あるきけり

冬蜂の死にどころなく歩きけり村上鬼城の代表句。ホトトギス大正4年(1915年)1月号に発表された。大正4年(大正5年とも)に、耳聾悪化を理由に、裁判所構内代書業の許可を取り消されているから、病状が悪化する中で詠まれた句か。
大正6年4月に大須賀乙字の手で編集された「鬼城句集」に収録されているが、乙字はその句集の序に「古来境涯の句を作った者は、芭蕉を除いては僅に一茶あるのみで、其餘の輩は多く言ふに足らない。然るに、明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優つた作者がある。実にわが村上鬼城氏其人である。」と寄せている。その、境涯の句に開眼した頃の句とされる。

▶ 村上鬼城の句
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