山本荷兮

蕉風が浸透するきっかけをつくった山本荷兮

やまもとかけい

慶安元年(1648年)~享保元年8月25日(1716年10月10日)。尾張名古屋(愛知県)の医師。名は周知、別号に加慶・橿木堂など。松尾芭蕉に師事。芭蕉七部集の「冬の日」「春の日」「阿羅野」の編者。

野ざらし紀行」の松尾芭蕉を名古屋に迎えて芭蕉に入門し、蕉風開眼の書とも言われる「冬の日」を刊行するなど、蕉風の確立と浸透に大きな役割を果たした名古屋蕉門の中心人物であった。しかし、新風を追求する晩年の芭蕉には批判的で、芭蕉亡きあとには「橋守」を編集するなどして、芭蕉から離れた。晩年には連歌師に転じ、法橋に叙されている。

▶ 山本荷兮の句

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