川端茅舎

かわばたぼうしゃ

茅舎浄土と呼ばれる境地に達した「露の茅舎」

1897年8月17日~1941年7月17日。東京市日本橋蛎殻町(東京都中央区)で生まれ、異母兄に日本画家の川端龍子を持つ。本名は信一(のぶかず)。別号に遊牧の民・俵屋春光。高浜虚子に師事し、1934年ホトトギス同人となる。露の俳句が多いことから、「露の茅舎」とも呼ばれる。句集に「華厳」「白痴」など。

岸田劉生に師事し画家を志したが、1931年以降は脊椎カリエスにより自宅に臥して、画家となることを断念。次第に俳句を主に置くようになり、虚子からは「花鳥諷詠真骨頂漢」(「華厳」序)と讃えられた。
最後は、肺患の悪化により自宅で死去。辞世とされるものは、「ホトトギス」昭和16年8月号巻頭を飾った「朴散華即ちしれぬ行衛かな」。死の2日前に、この句を含む3句が巻頭になることを知らされ、「それはよかった」と呟いたという。翌9月号にも「故茅舎」として、「夏痩せて腕は鉄棒より重し」などの句が巻頭となり、茅舎は計15回、ホトトギス巻頭を飾った。

▶ 川端茅舍の俳句

 川端茅舍年譜(7月17日 茅舍忌)
1897年 明治30年 8月17日、東京市日本橋蛎殻町で生まれる。(*1)
1914年 大正3年 「茅舎」と名乗り句作。
1918年 大正7年 洋画家の岸田劉生に師事。
1934年 昭和9年 ホトトギス同人。
1941年 昭和16年 7月17日、肺患の悪化により大森区桐里町(現・東京都大田区池上)の自宅で死去。43歳。戒名は青露院茅舎居士。龍子らとともに伊豆の修善寺に埋葬。
*1 紀州藩の下級武士の家に生まれる。父・信吉は「寿山堂」名乗る風流人。腹違いの兄に日本画家・川端龍子。本名は信一(のぶかず)。