俳句

高野百里

たかのひゃくり

雪門派の俳人

寛文6年10月12日(1666年11月8日)~享保12年5月12日(1727年6月30日)。江戸小田原町(東京都中央区)に生れる。父は魚問屋・小鍛治長次郎高野勝昌。漢詩人・高野蘭亭の父。
延宝5年(1677年)頃、近くで同じ魚問屋の杉山杉風と親しくなり俳諧を始め、松尾芭蕉に師事。天和3年(1683年)には服部嵐雪に入門し、嵐雪の命で21歳の時に、茅風の号を百里に改めた。

辞世は「死んで置いて涼しき月を見るぞかし」。臨終において、医師の原芸庵を呼んで「死んでおいてすゞしき月をみるよし」と書いたが、原芸庵が騒ぎ立てたために書き損じたとして改めた。改書し終えて息絶えたが、最後は力なく、「見るぞかし」の文字は、はっきりしたものではなかった。

▶ 高野百里の俳句

季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に 季語検索を簡単に