ののぐちりゅうほ
史上初の俳諧式目「はなひ草」の著者芭蕉にも影響を与えた俳画の先駆者
文禄4年(1595年)~寛文9年9月30日(1669年10月24日)。京都出身。初名は親重。雛人形の細工を業としていたため、俗姓は雛屋市兵衛。
松永貞徳に俳諧を学び、猪苗代兼与に連歌を、烏丸光広に和歌を学ぶ。また、書を尊朝親王より、絵画は狩野探幽から学んだ。俳画の先駆者として、松尾芭蕉、井原西鶴らに影響を与えた。
貞門の高弟であったが、寛永8年(1631年)に「犬子集」の編集で松江重頼と対立し、貞徳のもとを去る。
寛永10年(1633年)に「誹諧発句集」を上梓。寛永13年(1636年)には、史上初の俳諧式目「はなひ草」を著す。京都で没し、鳥辺山に葬られた。享年75。辞世は「月花の三句目を今しる世哉」。
▶ 野々口立圃の俳句