俳句

松永貞徳

まつながていとく

貞門派俳諧の祖である松永貞徳は俳諧三神のひとりとなる

松永貞徳の肖像画元亀2年(1571年)~承応2年11月15日(1654年1月3日)。京都出身。父は連歌師の永種、母は藤原惺窩の姉。幼名は勝熊。自ら延陀丸と称す。長頭丸とも称し、逍遊軒と号す。細川幽斎を師とし、木下勝俊を友とした。一時、豊臣秀吉の祐筆となる。
慶長3年(1598年)に、朝廷から俳諧花の本の称を許され、俳諧の第一人者と認められる。霊夢によって「万代をみつの社の春秋は花さき美なれ言の葉の道」の歌を奉じて花開稲荷を祀ったことから、花咲翁と呼ばれ、山崎宗鑑荒木田守武とともに俳諧三神とされる。
晩年には失明するも、貞門派俳諧の祖として、羅山・草山を門人として当時の主流を形成する。著書には「新増犬筑波集」(1643年)「俳諧御傘」(1651年)など。
松永貞徳の辞世は「明日はかくと昨日おもひし事も今日おそくは替る世のならひかな」。

▶ 松永貞徳の俳句

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