山口青邨

やまぐちせいそん

ホトトギスの4Sの生みの親

1892年(明治25年)5月10日~1988年(昭和63年)12月15日。岩手県盛岡市に生まれる。本名は吉朗。初号は泥邨。高浜虚子に師事。鉱山学者であり、東京大学名誉教授。「ホトトギス」同人。「夏草」創刊・主宰。
1922年に、水原秋桜子山口誓子富安風生高野素十らと東大俳句会を結成。1928年、虚子・素十と秋桜子との対立が深まる中、仲裁しようとホトトギスの講演会で「東に秋素の2Sあり、西に青誓の2Sあり」と語ったことで、秋桜子・素十・青畝・誓子のホトトギスの4Sが生まれた。

「夏草」昭和63年12月号に「遺句」として発表された「願ぎごとのあれもこれもと日は永し」が最後の句となり、句集「日は永し」(1992年)のタイトルともなった。

▶ 山口青邨の俳句

 山口青邨年表(12月15日 青邨忌)
1892年 明治25年 5月10日岩手県盛岡市仁王小路に生まれる。(*1)
1916年 大正5年 東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。古河鉱業に入社。
1918年 大正7年 古河鉱業を退社し、鉱山省に勤務。
1920年 大正9年 文芸誌「玄土」を創刊。処女句集「雑草園」を発行。
1921年 大正10年 東京大学工学部助教授。
1922年 大正11年 高浜虚子に師事。水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。
1928年 昭和3年 ホトトギスの講演会「どこか実のある話」の中で、ホトトギスの4S(*2)を挙げる。
1929年 昭和4年 「ホトトギス」同人。東京大学工学部教授。
1930年 昭和5年 盛岡市で「夏草」を創刊。
1934年 昭和9年 東大ホトトギス会を起こす。
1953年 昭和28年 東大教授を定年退職し名誉教授。
1988年 昭和63年 12月15日死去。
*1 旧盛岡藩士山口政徳、千代の四男。本名は吉郎。早くに母を失い、母方の叔父笹間家に引き取られ育てられる。
*2 水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子。