山本安三郎

やまもとやすさぶろう

「曽良随行日記」の発見者

明治3年(1870年)~昭和22年(1947年)10月24日。三河国田原(愛知県田原市)出身。本名は山本安三郎。別号に六丁子(ろくちょうじ)・掃雲(そううん)・菟丈(とじょう)・一艸亭(いつそうてい)など。医師。其角の流れをくむ文合菴菟好に師事。能村登四郎の叔父。「伊東笹鳴会」主宰。

昭和13年、実業家の斎藤幾太の所有していた「曽良随行日記」を見せてもらい研究を重ね、昭和18年に翻刻本「曽良奥の細道随行日記附元禄四年日記」を自費出版。辞世は「閼伽は是れ月澄む松の下雫」。

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