俳句

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり

あかとんぼ つくばにくもも なかりけり

正岡子規開眼の句

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり明治27年10月27日、新聞「日本」に初出の正岡子規の俳句。獺祭書屋俳句帖抄に、「元禄調から天明調に移りかけた時」とある、子規開眼期の句。
つまり、俳聖と仰がれ疑問の目を向けることがはばかられていたいた松尾芭蕉の元を離れ、与謝蕪村を見出した頃の俳句である。季語は「赤蜻蛉」で、季節は秋。

時は日清戦争の最中。この年7月、編集長を務めていた「小日本」が廃刊となった。獺祭書屋俳句帖抄には、「秋の終りから冬の初めにかけて毎日の様に根岸の郊外を散歩していた」とあり、日清戦争の情報に心躍らせながらも、日常の鬱憤晴らしの散歩の中で、東京から筑波方面を望んで「赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり」と詠んだ。
上巻序文に見える三河島あたりで詠まれたものか。


「赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり」の意味は、「赤蜻蛉よ、遠望する筑波には雲もかかっていないよ」という感じで、「雲は」でなく「雲も」としたところに、今一つ晴れない子規の心情が反映されているようにも見える。

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筑波山神社下の句碑(茨城県つくば市)

赤蜻蛉筑波に雲もなかりけりバス停「筑波神社入口」から、県道42号線を「つくばグランドホテル」の向こうまで歩くと、崖を落ちるような感じで小路が伸びている。それを300メートルくらい行くと、少し大きな道に出るが、その隅に「赤とんぼ筑波に雲もなかりけり」の句碑がある。道の下から句碑を見上げると、急な坂の向こうに筑波山山頂が見えそうだが、この日はガスがかかって分からない。赤とんぼも、7月ではまだ早かった。ただ、辺りでしきりにキリギリスが鳴いていた。

碑陰に、正岡子規真筆拡大とある。平成17年4月、筑波石を用いて建立。3月に廃校になった筑波第一小学校を惜しんで立てられたとある。

ヤマトタケルの「新治筑波を過ぎて幾夜か宿つる」に、御火焼翁が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と答えたという故事から「筑波の道」は連歌の事を指し、連歌から派生した俳諧、そして俳句にとっても、筑波は聖地と言える場所である。その筑波山へのケーブルカーは、筑波山神社の奥から出ている。男体山、女体山を巡ってつつじヶ丘にケーブルカーで下りるコースは、ゆっくり行っても2,3時間。恰好のハイキングコースである。筑波山神社周辺などに、多くの歌碑が建てられているのも嬉しい。東京からでも、余裕をもって日帰りできる。
【撮影日:2019年7月20日】

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