あささむや たのもとひびく うちげんかん
正岡子規の「散策集」に載る明治28年(1895年)10月7日の俳句。その「散策集」には、下記のようにある。
今出の霽月、一日我をおとづれて、来れといふ、われ行かんと約す、期に至れば、連日霖雨濠々、我亦褥に臥す、爾後十余日、霽月書を以て頻りにわれを招く、今日七日は天気快晴、心地ひろくすがすがしければ、俄かに思ひ立ちて、人車をやとひ今出へと出で立つ、道に一宿を正宗寺に訪ふ、同伴を欲する也、一宿故あつて行かず
朝寒やたのもとひゞく内玄関
この時、一時帰省して子規が転がり込んでいた漱石の住む愚陀仏庵から今出へは、約10㎞。愚陀仏庵から1㎞ほどのところにある正宗寺に立ち寄り、玄関を開けて「たのも」と叫んだと見える。一宿和尚を誘ったが、断わられたことが分かる。その後子規は、幼い時によく行き来した道を懐かしい思いでたどり、霽月と会って辺りを句作しながら散策。その日のうちに引き返している。
▶ 正岡子規の句
子規堂の句碑(愛媛県松山市)
松山市の中心である伊予鉄松山市駅の裏手に、この俳句が詠まれた場所である、正岡家の菩提寺である正宗寺があり、その境内に子規堂がある。子規堂は、大正15年(1926年)に柳原極堂らによって、旧正岡亭の建材を用いて建てられたが、第二次大戦などの2度の大家で焼失。昭和21年(1946年)に、子規が17歳まで過ごした家の間取りをもとにして再建されたものである。
境内には子規の句碑のほか、子規居士髪塔や、虚子の句碑、与謝野晶子の歌碑、横綱千代の富士の石碑、鳴雪先生髭塔、坊ちゃん列車などがある。子規堂内には、子規関連の資料が整理して展示されている。アクセスも良いことから、松山の観光名所のひとつとなっており、絶えず人が訪れている。
掲句の句碑に添えられていた案内板には、下記のようにあった。
朝寒やたのもとひゞく内玄関
正岡子規(一八六七~一九〇二 慶応三年~明治三五年)
愚陀佛庵に漱石と同宿していた子規が明治二八年一〇月七日、今出の村上霽月を訪れる途中、住職で俳人の一宿和尚を誘うため正宗寺へ立ちより、案内を乞うた時の趣をそのまま句にした。句碑の文字は『散策集』の筆蹟を拡大。
松山市教育委員会
『俳句の里 松山』
【撮影日:2019年12月31日】
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