俳句

春をまつことのはじめや酉の市

はるをまつ ことのはじめや とりのいち

春をまつことのはじめや酉の市宝井其角の句。出典は不明。「東都歳事記」(1838年)の「浅草田圃酉の市」の挿絵には、鷲大明神の賑わいが描かれ、この句が添えられている。
酉の市は、日本武尊が戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行ったという伝承に基づき、日本武尊が亡くなった11月の酉の日に行われる祭り。11月に酉の日が3日あれば、一の酉・二の酉・三の酉と、祭りは3回行われる。現在最も賑わう浅草の鷲神社の酉の市は、新暦の11月の酉の日に行われるため、江戸時代とは約一月のずれがある。
其角が活躍した時代は、花又の鷲大明神(足立区の大鷲神社)が賑わったとされる。普段は寂しい村も、この日は辻賭博も行われ、都のようになったと言われる。

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鷲神社の句碑(東京都台東区)

春をまつことのはじめや酉の市其角の時代には、足立区の大鷲神社が賑わったとされ、そこを「本酉」と呼んだ。この神社の酉の市は、応永年間の収穫祭に起源があるとされる。しかし、安永5年(1776年)に辻賭博の禁止令が出ると、市の賑わいは浅草長國寺や、浅草の鷲神社の酉の市に移った。そこは、新吉原に隣接し、酉の市の日には遊郭内が開放されたために大変賑わったとされる。
現在、その浅草の鷲神社の境内に、正岡子規の「雑閙や熊手押あふ酉の市」の句碑や、樋口一葉文学碑とともに、この句碑が立っている。

【撮影日:2018年8月5日】

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