いものつゆ れんざんかげを ただしうす
七夕から解き放たれた芋の露|飯田蛇笏の傑作俳句
飯田蛇笏の代表句ともされる俳句。「山廬集」(1932年)では、大正参年冬「露」に分類される。
前年、河東碧梧桐に対抗して高浜虚子がホトトギスに復帰した。それを機に、蛇笏はホトトギスへの投句を再開し、巻頭を重ねてホトトギスの代表作家となった。その頃に作られた俳句である。
季語は「芋の露」で秋。意味は、「朝の芋の葉にたまった無垢な露にこそ、厳つい連山の本当の姿が映るものだ」といったところだろうか。
「芋の露」は本来、「芋の葉の露」とすることが一般的で、七夕と結びついていた。この俳句により「芋の露」は七夕を離れ、三秋の季語としての広がりを見せたと言われる。
しかし蛇笏のこの俳句は、芋の「露」というよりも、本来の「芋の露」の姿である七夕に結び付いてこそ、深い味わいが生まれるように思う。
七夕には、里芋の葉の露で墨をすって、短冊に願い事を書く。「芋の露」は願いの象徴であり、背筋を正して立ちはだかる連山を志向する。芋の露連山影を正しうす・・・高潔な意思がほとばしる名句だと思う。
▶ 飯田蛇笏の俳句
句評「芋の露連山影を正しうす」
山本健吉「俳句とは何か」1993年
この句は初期の代表作であるが、若年にして確固たる蛇笏調を打ちたてているのを見るのである。里芋の畑は近景であり連山は遠景である。爽やかな秋天の下、遠くくっきりと山脈の起伏が、形をくずさず正しく連なっている。倒影する山脈の影も正しく起伏を描き出しているのであるが、「影」はまた「姿」にも通ずるのである。澄み切った秋空に、連山が姿を正すかのように、はっきりと、いささかの晦冥さをとどめず、浮かび上がっているのである。「芋の露」は眼前の平地の光景であり、かなりの拡がりを持った眺めでもある。広葉の露に、秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。