俳句

烏賊の味忘れで帰る美保の関

いかのあじ わすれでかえる みほのせき

烏賊の味忘れで帰る美保の関昭和7年(1932年)、高浜虚子は山陰吟行を決行。10月8日松江、10月9日大山、10月10日美保関、10月11日鳥取へ。美保関での宿泊は美保館。美保神社の門前に、明治38年開業した数寄屋造りの本館は、現在では国の有形登録文化財。

この句は、烏賊を季語として夏の句となる。美保館の前の漁港からは、イカ釣り漁船が出て、日本海は夜焚きの火で彩られる。虚子は10月に訪れているから、春から始まったイカ釣りも終盤にさしかかっていた。
同じ日にまた、「遊船を見るともなしによし戸越し」の句も残している。前日には大山登山をし、「秋風の急に寒しや分の茶屋」と、秋の句を詠んでいる。

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青石畳通りの句碑(島根県松江市)

烏賊の味忘れで帰る美保の関この句碑があるのは、青石畳通りと呼ばれる、江戸時代後期からの石畳の道。平成18年(2006年)に、この地にゆかりのある歌碑や句碑が6基建立され、河東碧梧桐の「独り帰る道すがらの桐の花おち」などとともに、古い街並みに馴染んでいる。
なお、石畳の始点は、えびす神(事代主神系)の総本宮とされる美保神社。御祭神の事代主神は、出雲大社の御祭神大国主の御子神で、天孫への国譲りを決定的にした神である。美保造と呼ばれる荘厳な社殿を持ち、出雲大社参詣の折は必ず美保神社に参拝しなければならないと言われ、「片参り」は忌み嫌われていた。
【撮影日:2013年5月28日】

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