たびびとと わがなよばれん はつしぐれ
笈の小文(1709年)所収の松尾芭蕉44歳の句。
貞享4年(1687年)10月25日から始まる、父の三十三回忌の法要に参列することを主目的とした旅に際し、10月11日に行われた其角亭餞別会での句。
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
旅人と我名よばれん初しぐれ
又山茶花を宿々にして
岩城の住、長太郎と云もの、此脇を付て其角亭におゐて関送リせんともてなす。
とある。「身は風葉の~」は、古今和歌集の「秋風にあへず散りぬるもみぢばの ゆくへさだめぬわれぞかなしき」を踏まえたもの。
この旅で宿を貸すことになった下里知足の千鳥掛(1712年)では、謠「はやこなたへといふ露のむぐらの宿はうれたくとも袖かたしきて御とまりあれや旅人」を前書きとしており、能の「梅枝」を踏まえて詠まれたものであったことが示唆されている。
▶ 松尾芭蕉の句
泊船寺の句碑(東京都品川区)
品川にある泊船寺は、芭蕉と親交があった住職・千巌宗億が、境内に牛耕庵を建てて芭蕉を迎えたという。そのために、境内には江戸期の俳人の句碑が散在している。
この「芭蕉像安置」と刻まれた石碑は、ガラスケースに入っており、裏側の様子がよく分からないのであるが、碑陰には「旅人と我名呼れんはつ時雨」の句があるとされる。寛政5年(1793年)の芭蕉100回忌に、石河積翆が、木造の松尾芭蕉坐像とともに「いつかまた此木も朽ちん秋の風」の句を添えて寄進。
その芭蕉坐像は、芭蕉が好んだ牛耕庵の柳を用いて、石河積翆が自ら彫ったと言われる。品川区指定文化財になっているが、公開はされていなかった。
なお、松尾芭蕉坐像には「泊船寺の夜泣き芭蕉像」という伝説がある。それによると、芭蕉坐像は盗まれたことがあり、古道具屋に売られていたという。夜中に呼び声に気付いた古道具屋の主人は、芭蕉像が「寺に帰りたい」と言っていることに気が付いた。事情を知った主人は、芭蕉像を白い布に包んで、そっと泊船寺に返したという。
【撮影日:2018年9月17日】
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