初秋の季語 撫子
大和撫子(やまとなでしこ)
ナデシコ科ナデシコ属の総称であるが、通常はカワラナデシコを「撫子」と呼ぶ。7月から10月頃に花をつけるカワラナデシコは、本州以西に自生し、「大和撫子」の異称もある。秋の七草の一つである。
盛夏の花が秋にも残ることから、古くは撫子を常夏と呼んだが、現在では、中国から渡来したセキチクの園芸品種「トコナツ」を「常夏」として、夏の季語とする。
万葉集には26首歌われ、山上憶良の和歌で七種の花として秋の七草に定着する。ただ、夏雑歌に分類されるものがあれば秋相聞に分類されるものもあり、古くから季節が曖昧にされる花であった。大伴家持は
我が宿のなでしこの花盛りなり 手折りて一目見せむ子もがも
など、12首の撫子の和歌を万葉集に載せている。なお、撫子の語源は「撫でし子」にあると言われ、和歌も「撫でし子」に掛けて愛おしい者を歌うことが多い。
源氏物語の第二十六帖「常夏」には、
なでしこのとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ
の和歌があり、ここから巻名が取られている。
俳諧歳時記栞草(1851年)では、「瞿麦(なでしこ)」として夏之部五月に分類され、「草花譜」の引用で「単弁なるものを石竹(せきちく)と名づく。千弁なるものを洛陽花(らくやうくわ)と名づく…」とある。また、「剪紅紗(のうぜん)に似たるものを瞿麦とし、切又なきものを石竹とす…」ともある。石竹は中国由来のセキチクのことで、現代でも夏の季語として扱われるが、この当時、「撫子」との明確な区分はなされていない。江戸時代にもナデシコの夏秋問題は論議されてきたが、書物により見解は異なり、定位置を得ることはなかった。
近代に入っても、俳諧歳時記(新潮社1951年)など「撫子」を夏に分類する歳時記は残るが、江戸時代に開発されたトコナツが園芸ブームの煽りを受けて「常夏」として定着したことから、秋の七草に数え上げられる「撫子」は秋の季語にほぼ定着している。
【撫子の俳句】
かさねとは八重撫子の名成べし 河合曾良
露の世や露のなでしこ小なでしこ 小林一茶
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