季語|絵踏(えぶみ・えふみ)

初春の季語 絵踏

踏絵(ふみえ)

絵踏江戸幕府がキリシタンを発見するために用いた絵を「踏絵」といい、それを踏ませることを「絵踏」と言う。18世紀中頃の長崎奉行所では、絵踏は正月四日から八日に行われ、正月行事の1つとなっていた。このため春の季語に分類される。踏絵には、イエス・キリストや聖母マリアが描かれた紙や板を利用していたが、損傷が激しいために真鍮踏絵が用いられるようになった。
俳諧歳時記栞草(1851年)には春之部正月に「絵踏」があり、吾山遺稿の引用で「肥前長崎、五島、大村、平戸、此処にて、男女に限らず、絵ぶみす。是は邪宗を禁ぜしめ給ふによれり」とある。
徳川家康は1612年に禁教令を出し、徳川家光の時代の1629年に絵踏を導入した。九州では制度化され、その他の地方では疑いがある時に随時実施された。拒んだ者は「キリスト教徒」として処罰された。1856年に長崎や下田などの開港地で廃止され、1858年の日米修好通商条約締結により廃止された。
現在では、反対する者などを燻り出すために用いる手段を「踏絵」と呼ぶ。

【絵踏の俳句】

そのかみの絵踏の寺の太柱  富安風生

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