はるなれや なもなきやまの あさがすみ
芭蕉が奈良に見た宇宙観
松尾芭蕉 の句。「奈良に出づる道のほど」の前書きがあり、「春なれや名もなき山の薄霞」と、「野ざらし紀行」(1685年)にはある。泊船集(1698年)には「春なれや名もなき山の朝霞」。
貞享2年(1685年)2月の句。故郷の伊賀から、名張・宇陀を通って、奈良に向かう途中に詠まれた句。実際には「野ざらし紀行」にあるように「薄霞」で、朝に見た情景ではなかったのかもしれない。「朝霞」とすることで、無垢なる春の清らかさが強調される。奈良では、二月堂のお水取りに参加した。
この句の意味は、「春になったことだな。名もない山に朝霞がかかっている」といった感じになる。つまり、万物に季節は巡り、分け隔てなく彩られるということを強調した句である。それが、たとえ名前のつかないようなものであったとしても。
「名もなき山」というものは、この国には存在しないであろう。春の朝ならばこそ、霞の中で「名もなき山」となり、旅人を惑わす。恐らく「名もなき山」とは、万葉集などで霞とともに歌われる天香具山を想定し、その有名な山に対峙させたものであろう。
▶ 松尾芭蕉の句
花園神社の句碑(東京都新宿区)
内藤新宿の総鎮守である花園神社は、大和吉野山より勧請された神社で、江戸時代には花々が咲き乱れていたという。その境内社である威徳稲荷神社横に、安永7年(1778年)に建立された「蓬莱に聞ばや伊勢の初だより」の句碑があり、その隣に「春なれや名もなき山の朝がすみ」の句碑が立っている。
明治29年(1896年)3月建立。碑陰に28人の俳人の句が刻まれているというが、読めない。
【撮影日:2019年12月13日】
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