俳句

向井千子

むかいちね

向井去来の妹

???~貞享5年5月15日(1688年6月12日)。肥前長崎(長崎県)出身。通称は千代。儒医・向井元升の3女で向井去来の妹。松尾芭蕉に師事。長崎の廻船問屋・清水藤右衛門に嫁ぐ。

貞亨3年(1686年)8月の去来の「伊勢紀行」に同行。近江の草津では、名物の姥餅を前にして「紅粉を身にたやさねばいつとても 皺の見えざる姥がもち哉」と、戯歌もある。
伊勢紀行後に結婚したと考えられているが、貞享5年(1688年)5月15日、嫁ぎ先で若くして死去。28歳前後だったと言われている。曠野集(山本荷兮編1689年)に、「いもうとの追善に」として「手のうへにかなしく消る螢かな」の去来の句がある。これは、千子の辞世「もえやすく又消えやすき螢哉」に応じたものである。貞亨5年(1688年)、芭蕉も追善に「無き人の小袖も今や土用干」の句を寄せている。

▶ 向井千子の俳句

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