角川源義

かどかわげんよし

俳句から出発した出版界の風雲児・角川源義

1917年(大正6年)10月9日~1975年(昭和50年)10月27日。富山県中新川郡東水橋町(富山市)の商人の家に生まれる。俳号は源義(げんぎ)・水羊(すいよう)。角川書店(KADOKAWA)を創立し、「出版界の風雲児」と呼ばれる。辺見じゅん・角川春樹・角川歴彦の父。角川照子と再婚。

國學院大學で、柳田国男・折口信夫・武田祐吉の指導を受けた後、中学校教師を経て、1945年に角川書店を設立した。句作は中学時代から行っており、1952年6月「俳句」創刊。1955年「角川俳句賞」設立。1967年「蛇笏賞」設立。1958年12月「河」創刊・主宰。死後の1979年に、文学・歴史の学術賞「角川源義賞」が設立された。

松尾芭蕉に心酔。飯田蛇笏の句風を慕い、石田波郷の俳句精神に傾倒した。1975年10月21日、「後の月雨に終るや足まくら」を最後の俳句とする。忌日は「秋燕忌」というが、これは「篁に一水まぎる秋燕」の俳句から来ている。

▶ 角川源義の俳句
▶ 角川源義の句碑



角川源義の百句 [ 角川春樹 ]
1870円(税込/送料込)
カード利用可・海外配送不可・翌日配送不可
【楽天ブックスならいつでも送料無料】 【楽天ブックス】

 角川源義の年譜(10月27日 秋燕忌)
1917年 大正6年 10月9日、父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれる。(*1)
1931年 昭和6年 中学の校友会誌に「俳人一茶の生涯」を寄稿。
1932年 昭和7年 「草上」に投句をはじめる。
1935年 昭和10年 受験浪人となり、勉学のために京都に出る。
1936年 昭和11年 上京し、折口信夫の「古代研究」に出会い、後に折口の在籍する国学院大学に入学、折口信夫や武田祐吉、柳田國男に師事。(*2)
1941年 昭和16年 臨時徴兵制度によって大学を繰り上げ卒業。翌年、東京で中学校教師となる。
1942年 昭和17年 初めての著書「悲劇文学の発生」を刊行。
1945年 昭和20年 11月に東京都板橋区小竹町で角川書店を設立。
1947年 昭和22年 金尾梅の門の「古志」に幹部同人として参加。
1949年 昭和24年 角川文庫を創刊。合本として出版した「三太郎の日記」で、廃業寸前の角川書店を救った。
1951年 昭和26年 山本健吉の「現代俳句」を、俳句関連の書物としてはじめて角川書店から出版。
1952年 昭和27年 6月、俳句総合誌「俳句」創刊の折、高浜虚子に「登山する健脚なれど心せよ」の句を頂く。現代俳句協会に入会。
1954年 昭和29年 短歌総合誌「短歌」創刊。
1955年 昭和30年 角川俳句賞と角川短歌賞を設立。
1958年 昭和33年 12月に「河」を創刊・主宰。
1961年 昭和36年 現代俳句協会を離れ、俳人協会設立に参加、常務理事となる。「語り物文芸の発生」で文学博士(国学院大学)となる。
1964年 昭和39年 国学院大学文学部講師。
1967年 昭和42年 俳句の「蛇笏賞」と短歌の「迢空賞」を設立。
1971年 昭和46年 俳句文学館建設委員長に就任。
1972年 昭和47年 「雉子の聲」で第20回日本エッセイストクラブ賞を受賞。
1975年 昭和50年 慶応大学大学院講師。国学院大学理事。「西行の日」で読売文学賞を受賞。10月27日、肝臓癌で入院していた東京女子医大病院で死去。58歳。正五位、勲三等。
*1 角川源義誕生時、父は鮮魚を扱っていた。後に米穀商として成功。
*2 俳句を志していたが、折口信夫に勧められて短歌を始める。