神野忠知

かんのただとも

白炭の忠知

寛永2年(1625年)~延宝4年(1676年)11月27日。江戸に生まれる。俗称長三郎。井坂春清から俳諧を学ぶ。「白炭ややかぬむかしの雪の枝」の句から「白炭の忠知」と呼ばれた。

「鳴雪自叙伝」(内藤鳴雪1922年)に、種彦が書いた「娘金平昔絵草紙」の話があり、そこに忠知が登場する。それによると、料理屋で酒を飲んでいたときに面会人があり、面倒なので家来に自分の名を名乗らせて面会させた。すると家来が盗みを働いたために、同席侍が彼を斬殺した。これにより、忠知は過ちを悔いて自殺したという噂が立ち、表向きに顔を出すことが出来ぬ身となった。そうこうしているうちに金平のお金という女と夫婦になり、そのお金の親の仇を討つという筋立てになっているという。
「雑談集」(宝井其角1691年)には、以下のようにある。

家を売たるふち瀬にとは、盛衰の至誠をよまれたり。負物いたく成ぬれば、風雅也とても人ゆるさず。されば白炭と聞えし忠知が、
 霜月やあるはなき身の影法師
と辞世して腹切りける。

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