井上井月

いのうえせいげつ

乞食井月と呼ばれた行脚俳人

文政5年(1822年)~明治20年2月16日(1887年3月10日)。越後長岡藩士の出と言われている。本名は井上克三。別号に柳の家井月・北越漁人など。信州伊那谷あたりを放浪し、漂泊を主題とした俳句を詠む。種田山頭火に影響を与えたことでも知られる。

無類の酒好きで、賞讃から謝辞にいたるまで「千両千両」の口癖で応えたことでも知られている。18歳ころに江戸に出てより、象潟から明石まで放浪、47歳ころから伊那に滞留。
明治19年師走に、伊那村の路傍に糞まみれで倒れていたところを発見された。伊那に草庵を結ぶことが夢であったが叶わず、翌年の春、焼酎を一杯飲んで死亡。辞世を請うと、以前に詠んだ句「何処やらに鶴の声聞く霞かな」を墨書。墓碑には「降るとまで人には見せて花曇り」の句が刻まれている。辞世は「闇き夜も花の明りや西の旅」とも言われている。

▶ 井上井月の俳句

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