俳句

水間沾徳

みずませんとく

1662年(寛文2年)~1726年6月29日(享保11年5月30日)。福田露言に師事。露言に伴われて、奥州磐城平藩の句会に参加し、藩主(風虎)の嗣子の俳号である露沾から一字を賜り沾葉と号す。風虎が他界してからは、剃髪して友斎と改め和歌に勤しむ。しかし、露沾から俳諧への復帰を請われて沾徳の号を用いた。やがて露沾とともに蕉門に近づき、其角と提携した。芭蕉・其角が亡くなると、江戸俳壇の「大宗匠」と仰がれ、合歓堂と号した。門下に大高源吾ら赤穂浪士がいた。

▶ 水間沾徳の俳句

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